蜂蜜と玉葱、そしてコックテイル

いい日も悪い日もいろんなことのいろいろが楽しくて好きで

◯◯殺しの物語

 

ここ数日とても怒っています。

 

焼身自殺という社会に対して苛烈に訴えかけるやり方がありますが

 

今マッチでもなんでも少し擦ったらこの感情がたちまち炎となって身体全体が燃え上がるのではないか

 

そんな怒りです。

 

何に怒っているかといえば、きっかけはネット上の性格診断なんですけど、

 

私は、常に、

 

自由でありたい

 

せめて頭の中の世界では何にも囚われない者でありたい

 

そんな風に強く願っているのですが

ともすると自身についた枷を誇っているような自分が見えて嫌になります。

 

 

特に腹が立つのはジェンダー関係のことで

性別なんて関係なく強く剥き出しで生きていきたいと思うのに

 

一方で男性に対しては受け身でいたい、選ばれ愛されたい、献身的であるべきというような気持ちが心の土台の部分を占めていて、それを女性だから美徳と誇っているようなところがあります

 

そういう思想自体に罪はないはずなのに、私は強く自由でありたいと標榜しながらジェンダーに支配されているかもしれないことに気がつく度怒りがぼこぼこ湧く

 

 

こんなの誰のせいと特定して気が済むでもなく

女性であることを嫌悪したこともないけれど

 

まるっこく柔らかい身体

趣味

音楽や色や服の好み

実際に似合う装い

早く走れないこと

力が強くないこと

スポーツも好んできたわけではないこと

 

どれを取ってもジェンダーに規定されたごとく体をなしていて

 

なぜこうなのかと

実は私はずっと縛られてきたのではないかという、一触即発爆発しそうな思いを感じざるを得ない

 

中性的な女性に対して強い憧れと共にコンプレックスを感じていることを白状しなければ

 

学生時代に近い関係にいた人が聞けばうなずくだろうことが恥ずかしい…

 

 

そんなことを言ってしまえば、私が今好きでいるベリーダンスというのもこの怒りに矛盾する趣味であるかのように思える

 

ベリーダンスは女性でいることを謳歌する踊りとかなんとかいう向きもおられますが

性を厳格に定義づける文化の中で女性の踊りとして受け継がれてきて、その中で私的な夫婦の時間の一部としての役割も持ってきた、と理解してるので

特にベリーダンス自体が動物のホルモンとかフェロモンみたいに普遍的な女性性に企投されているわけではないと思うんですよね

 

 

 

「少年漫画は父殺しの物語である」

という言葉があるけれど、この根深い束縛感と矛盾を長い時間をかけてどうにか寛解しなければならないと感じたりなんだりすることもある。